The Killing of Kenneth Chamberlain

アメリカは自由の国だと物心ついた時から耳慣れた言葉だった。しかし、海外に興味を抱いた時から色々な情報に触れ(英語がまともに理解できるようならもっと深く理解できるのであろう)不自由な国なのかなと解釈は変わった。

日本は曖昧さが良いとされるがアメリカでは自分のアイデンティティを強く発信しないと生きていけないようだ。命懸けだ。そこに人種差別ときたらどうしたら良いのであろう。正とされる権力を得てしまえば、結末がよかれ、悪かれ、自分たちの気分が落ち着くまでは老若男女関係なく右向け右をしなければ納得しないのであろう。生易しく誰かに「してはいけない教育・訓練」が厳しいのだろうな。

主人公というかこの映画の被害者は何もしていない、見た目で最初に黒人だからとなにかフィルターを通してもみられていない。ただ家で寝ていて何か身体にあった時の通報サービスが作動してしまっただけだというのに。昔、警察となにか嫌な過去があったのだろう。直接顔を合わせてやり取りすることを拒んでいるのだからそれほど嫌な過去だったということであろう。息子から、娘からの電話、姪が心配になり駆けつけても自分のファミリーには何かあってはいけないと自分で納めようとする。でも、それが悲劇に繋がるとはなんて恐ろしいことだ。何が自由の国なんだろう。下調べもなしにただの安否確認からムカついたという理由でどんどんエスカレート。警察に屈服しないから懲らしめてやるという意識が強い。とても強い。なぜアメリカは大きく変えられないのか。

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